【うつ体験談】「ありのままの自分」を見てほしかった – イラストレーターますぶちみなこさん(前編)

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ますぶち みなこ

フリーランスのイラストレーター・エッセイスト。
「世界をもっと、なめらかに。」をモットーに、見るとほっとする、優しい気持ちになれるようなイラストを制作。精神疾患を持ち、他人や世間とたくさん比べてうまく生きてこられなかった経験から「こんなわたしみたいな人もいるけど、なんとかやっていけるよ」というメッセージを込めて、こころや家族についてのエッセイをnoteで発信中。https://note.mu/masco

soar」などで活躍するますぶちみなこさんは、かつて「不安障害」を経験し、現在は「双極性障害Ⅱ型(境界性パーソナリティ障害傾向)」と向き合っています。

そうした疾患の原因となったのは「幼少期の経験」が影響しているのだとか。優しいタッチのイラストに隠された過去、そしてイラストレーターとしての現在について、お話しを伺いました。(※ご本人は、リヴァトレの利用者ではありません。)

「甘えたい」その想いは届かず 我慢を続けた幼少期

私の母親は看護師でした。当時、若い看護師は夜勤が多く、家にいる日がとても少なかったんです。父は優しい人でしたが、職が安定せず、母親が一家の大黒柱として家計を支えていました。

3歳くらいの頃でしょうか、私はふと夜中に目が覚めてしまいました。母親を探したものの、勤めに出ていて、どこにもいない…。不安になり、大声で泣きわめきました。そんな私に、弟の面倒を見ていた父が言ったのは「泣かないで我慢しなさい」というひと言。その時の記憶は鮮明で、今でも忘れられません。

その後、幼稚園に通い始めても、私はわざと登校拒否をしたり、風邪をひくためにお腹を出したりしました。どうにかして母に家にいてほしかった。とにかく母に甘えたくてしょうがなかったんですね。

甘えたい気持ちを抑えて我慢し続けるうちに、いつしか私は「泣いてはいけない」「甘えてはいけない」「お姉ちゃんだからしっかりしなくちゃ」と自分に言い聞かせるように。そしてその頃から、私の自己肯定感は下がっていきました。

大人しく振る舞う私を見た近所のおばちゃん達からよく「みなこちゃんは、いい子だね」「お母さん、看護師ですごいね」と言われましたが、ちっとも嬉しくありませんでした。

常に「看護師の娘」だったり「いい子」としてしか見てくれない。当時の私は、だから「大人は信頼できない」と思いました。「ありのままの私」を見てくれている気がしなかったんです。

「ありのままを認めてもらえない私はだめなんだろう」と考えるなど、人に何かを言われても、ネガティブに考えてしまう癖がついてしまいました。

ありのままの私でいて良い 祖母との貴重な時間

「ありのままの私」をちゃんと見てくれたのは祖母でした。夏休みは祖母と会えるチャンス。ベタベタと祖母から離れずたっぷり甘えることができる至福の時だったのです。

祖母と別れる際には、世界が終わるような勢いで泣き続けました。「自分を愛してくれる唯一の存在と引き離される」と感じていたんです。

祖母と離れ、日常に戻ると「自分を愛してくれる存在」はいない。その寂しさを紛らわせるためにしていたのが、読書やお絵かき。何かに没頭しているときは、寂しさを忘れることができました。

中学生になり、興味から独学でWebサイトを作成しました。何かWebサイトに載せられるものはないか…と考えてたどりついたのは、幼少期から寂しさを紛らわせていた「お絵かき(イラスト)」でした。

サイトには反響もあり、嬉しかったことを覚えています。当時「将来、イラストを描くことを仕事にしたい」「在宅で仕事をすれば、子供ができてもちゃんと構ってあげられる」とまで考えていました。その後、考えを実現するべく、美術専門学校へ進学しました。

就職、そして恋人との同棲… 挫折を重ねて自傷行為も

美術専門学校の学生時代に友人2人が起業した小さなWeb制作会社で1年間アルバイトをし、そのまま入社。その後、Web系の自社サービスを持つ企業に吸収合併され、私はWeb制作室のデザイン業務を担当することに。その会社の社長は営業出身の体育会系。厳しくあたられることも多くありました。

通勤に1時間以上をかけて9時に出社し、終電で帰宅する…という日々が続き、睡眠もままならない状態でした。

それに加え、隣の席はWeb制作会社を起業した友人であり、上司のEさん。休憩時間に友人モードで雑談をしていたかと思ったら、仕事に入れば急に上司モードで冷たくあしらわれる。そんな調子で、いつ、どのモードで話しかけられるかわからないことから、Eさんがいる席側の手が震えてしまうようになっていきました。

動悸も強くなり、逃げ出したい気持ちから、初めて心療内科を受診。「不安障害」と診断を受け、薬を出してもらったものの、状況は相変わらず。ある日、業務中に上司に怒られ泣いてしまうことがありました。その状況に焦った私は「ちょっと立て直してきます」と言い残して、慌てて給湯室へ。そこで突発的に、持っていた薬を一気に飲んでしまったんです。

「今日は仕事ができないので帰ります」と外に出るも、移動した先のお店で眠るように倒れてしまいました。その後、倒れたことが上司に知られてしまい、会社に行きづらくなり、休みがちになって…退職。

その後、学生時代から付き合っていた彼氏の提案で、同棲を始めました。

本当はそこでしっかり休息すべきだったのでしょうが、初めての同棲生活で慣れない家事に取り組むうち、私は疲弊していきました。さらに彼からは「家事もろくにできない」「(絵が好きなら)とにかく絵をかけ!」「なんか行動しろ!」など怒鳴られたり、説教される日々でした。

「会社でも勤められなかった。日常でもダメ・・・私はダメなんだ」とたくさんの「ダメ」が揃ってしまったんです。自分で自分を認めることができず、一緒に住む彼にも認められず、辛い気持ちは溜まっていく一方でした。

どうしようもない気持ちは全て自分に向いていきました。リストカットで自分を傷つけ、相手に見せつけるような行動に出てしまったのです。そのエピソードから、新たに双極性障害Ⅱ型(境界性パーソナリティ障害傾向)」と診断されました。

そうして半年ほど過ごした後、彼と別れ実家に戻りました。

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この記事を書いた人
北口 ひとみ 元リヴァスタッフ

大阪出身。上京後はWEBディレクターを経て、リヴァへ入社。支援職をする傍らリヴァマガの運用管理に携わる。大阪移住を決意しリヴァを卒業。元リヴァ社員として退職後も執筆を継続。

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