“好きなことを追求して生きる”の先駆者となるために【イキカタログ 〜自分らしい生き方対談〜 vol.1 忍者・五十嵐剛さん】

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2017年に公開され、世界中で話題を呼んだシュールな動画「チキン・アタック 」。その中で悪役の忍者に扮して出演している五十嵐剛さん(写真左)は、なんと“本物の忍者”なのだとか。厳しい修行を積まずとも便利な道具や技術がたやすく手に入る時代に、彼はなぜ忍びとして生きるのでしょうか?リヴァ代表の伊藤崇(同右)が聞きました。

プロフィール 五十嵐 剛(イカラシ ツヨシ) 忍者 青龍窟 /忍術武術参究家/松聲館技法研究員 1988年東京都生まれ。幼少より様々な武道や格闘技を学ぶも怪我をきっかけにスポーツ的なトレーニングに疑問を持ち、大学で東洋的身体論を研究する。2009年~2018年2月まで伝統文化の発信を修行の一環とする忍者団体「江戸隠密 武蔵一族」に所属、以降「忍者」としてメディアにも多数出演。現在は独立し、武術や忍術を研究・稽古しながら、忍術教室やイベントを通じて現代の暮らしにも役立つ心身運用法を指導している。 FBページ 「忍者 青龍窟 」 / Twitter @3618Tekubi

スーツもジーパンもNO!
21世紀を生きる忍者とは?

伊藤:今日はご自宅からその出で立ち(和装)でいらっしゃったんですか?

五十嵐:ええ、スーツやジーパンだと違和感があるし、楽じゃなくて。和装ってあまり締め付けないし、「自分らしさが保てる」みたいな感覚があるんです。

伊藤:街中だとかなり目立ちそうですね。

五十嵐:そうですね、相手のリアクションで、その方の人となりが分かったりもします。興味を持ってくれる人は「アクティブで好奇心の旺盛な人」ですし、怪訝な顔をする人は、まぁそういう考えをしているんだろうな、とか。

伊藤:なるほど。では改めて、五十嵐さんのお仕事についてお聞かせいただけますか。

五十嵐:2009年から2018年2月まで「江戸隠密 武蔵一族」という団体に所属し、外国人向けの体験ツアーやショー、セミナーなどを行ってきました。映画の忍術演出構成を担当したこともあります。

伊藤:五十嵐さんはどういう立場で?

五十嵐:私は現場の指揮からメディア担当、企画立案、イベント時のリーダー、事務経理まで、もろもろの業務を担う「大番頭」という役職に就いていました。現在は独立した忍びとして、個人で活動しています。

伊藤:今後はどんな風に活動されるんですか?

五十嵐:武術や忍術を研究・稽古しながら、現代でも役に立つ「心身運用法」を忍術教室やイベントを通じて指導していきたいと考えています。例えば、忍術には「心を楽にする」方法のようなものもたくさんあるので、リヴァさんのような企業とコラボレーションすることもできるかもしれません。また海外でのセミナーも企画しています。

伊藤:おー、海外ですか。

五十嵐:来年のはじめにはスウェーデンへ行きます。各地の道場や日本文化に関心がある方のところを周ってセミナーを開催したり、忍者について紹介したりする予定です。

ビー玉・日本一の少年が
“プロ忍者”の道を選ぶまで

伊藤:五十嵐さんは小さい頃から忍者を目指していたんですか?

五十嵐:いえ、子どもの頃の夢は「おもちゃメーカーで働くこと」でした。小学生のときに「ビーダマン」という、ビー玉を発射する人形のおもちゃが流行りまして。そのビーダマンをブロックに当てたりする技術を競う大会で、日本一になったことがあるんですよ。

 

伊藤:日本一!?それはすごい。

五十嵐:小さいときから運動も得意じゃなかったし、人よりも劣っていると思い込んでいました。そんな自分が優勝できたことで「好きなことを突き詰めていけば、誰だって成功できる」ということを体感できたんです。僕に「お前なんかどうせ何もできない」と言い続けていた父も、このときだけは褒めてくれましたし。

伊藤:大きな成功体験ですね。

五十嵐:その後の人生の、大きな支えになりました。同時に「こういうおもちゃがつくれる大人ってすげーな」とも思ったんです。以来、ビーダマンを販売していたおもちゃメーカーであるタカラ(現・タカラトミー)への就職を目指すようになり、学生時代は大手のおもちゃ販売店でアルバイトをして、小売について勉強したりもしました。

伊藤:実際にタカラトミーの就職試験を受けたんですか?

五十嵐:エントリーシートの段階で1万人くらい応募があった中、最終審査の1つ手前の20人くらいには残ったんですが、残念ながら落ちてしまいました。

伊藤:他の会社は?

五十嵐:受けていません。就職活動って、嘘をつかないといけないじゃないですか。「御社が第一志望です」とか。僕はそういうのを口が裂けても言えなくて。だから1社を全力投球で受けて、ダメだったというわけです。

伊藤:潔いですね!一方、忍者になろうと思ったのは、どうしてなんですか?

五十嵐:学生時代、ずっと柔道や総合格闘技をやっていまして。20歳の頃、ネックロック(首を絞める技)をかけられた状態で、体がバキッと折れちゃったんです。

伊藤:え、折れた?

五十嵐:はい、頚椎を損傷しました。さらにその後、腰まで痛めてしまいました。左腕は常に痺れているし、腰は10分くらい立っているのがやっとの状態。

伊藤:大怪我ですね…

五十嵐:病院の整形外科で首を牽引したり、処方された痛み止めや湿布を使ったりと一通りの治療を受けましたが、全く治る気配がありません。そこで東洋医学の治療を受けたり、自分なりに工夫した稽古法に取り組んでみたところ、かなり改善を実感することができたんです。それで「学校で教わった体育や西洋医学とは違う考え方や世界があるんだ」ということを知りました。その流れで古流武術の稽古などに取り組む中で、当時「武蔵一族」に所属していた、後の兄弟子に出会ったわけです。

伊藤:そのまま武蔵一族に就職したんですか?

五十嵐:いえ、当時は学生だったので、まずはアルバイトから。大学を卒業した後も、学童保育の職員として働きながら、しばらくは副業として関わっていました。学童保育での仕事もやりがいはあったのですが、やはり子どもたちを「安全に管理する」というのが基本。同じ子どもに関わるのであれば、忍者になって夢を与えられる人間になった方が、将来的にはより幅広く子どもたちに寄与できるんじゃないかと考え、プロの忍者としての道を選ぶことになりました。

心の在り方、手印の結び方 …
忍術が現代人にもたらすもの

 

伊藤:忍術というと手裏剣などをイメージしがちですけど、体験ツアーやセミナーの内容はどういうものなんですか?

五十嵐:外国人の方を対象とするツアーの場合、1時間半から2時間くらいかけて手裏剣や刀の扱い方、歩き方、瞑想法などについてレクチャーします。その中で日本の心、そして忍者の思想についてお伝えしていきます。

伊藤:忍者の思想ですか。

五十嵐:いろいろありますが、代表的なのは「正心」という忍びの教えですね。忍術は使い方によって、窃盗や詐欺などの犯罪に悪用することもできてしまう。そんなことをせずに正しく用いなさいよ、というのが正心の考え方。それを実践するためには、人に譲ることなど、道徳のようなものについても学ぶことが必要になります。

伊藤:フィジカルなトレーニングというか、練習も必要なんでしょうね。

五十嵐:古くから伝わる忍術書に載っているのは格言のようなものとか、火薬の調合法とかが中心で、稽古法はあまり書かれていません。僕としては、忍者であるために必要な稽古は自分で見つけていくものだと思っていて、忍者が活躍した時代の武術の稽古法などに取り組んだりしています。忍術書には呪術とか、手印の結び方なども載っています。

伊藤:手印って、何をするためのものなんですか?

五十嵐:「ホムンクルス人形」ってご存じですか?脳が体の部位をどれだけ支配しているかというパーセンテージを割り当てた人形。あの人形は手がすごく大きいんですよ。

伊藤:つまり、手は脳との関わりが強いということですね。

五十嵐:その通りです。その手を様々な形に組むと、脳に大きな影響を及ぼします。例えば、手を挙げて振ると、どんな感じがしますか?

伊藤:(手を振る)…元気が出る感じがしますね。

五十嵐:その動作をしながら悲しい感情になるのは難しいでしょう。逆に、体を前傾させて手をだらりと降ろすと、楽しい気持ちにはなりにくい。少し極端な表現ではありますが、こうした体の姿勢によって心の在り方に影響を及ぼすのが、手印の一つの役割といえると思います。

伊藤:形から心を整える…ということですか。

五十嵐:例えば、独鈷印(どっこいん)という手印があります。これは独鈷という、槍のような形をした仏教の法具を前に刺すようなイメージです。槍で刺すので、肩が降りて、肘がおさまり、呼吸を整えれば感情もポジティブになっていきます。外獅子印(げじしいん)という、外に向かって獅子が吠えている形もあります。これは内側のエネルギーを外に発しているイメージ。手印を結びながら真言を発することで、心を整えるアプローチですね。

「独鈷印(左)」と「外獅子印」

 

伊藤:なるほど、カウンセリングでいう「アンカリング」のようなものですね。

五十嵐:そうです。以前、ラグビー選手のルーティーンが話題になりましたが、手印もああいう使い方ができるんです。例えば、翌日に大事なプレゼンを控えているときなどに、外獅子印が喋ってくれているとイメージしながら練習をする。そうして本番前に外獅子印を結ぶと、前夜の落ち着いて喋れたあのイメージを再現できるわけです。

伊藤:現代の心理学のようなものが、理屈ではなく体感的に編み出され、受け継がれてきたのかもしれませんね。五十嵐さんは忍術を通じて、現代人にどんなことを提供したいとお考えですか?

五十嵐:明治維新と第二次世界大戦という2つのターニングポイントを経たことにより、日本では、ものすごい勢いで西洋化が進んでいきました。その流れの中で、忍術も含め、実は西洋のものより優れていた技術や考え、価値のある文化がたくさん捨て去られていったんです。そうして失われたものの中から、現代でも使えるものを改めてピックアップして、現代に甦らせたい。ひと言で表現すると「温故知新」と言いますか、そういったことに取り組んでいきたいと考えています。

就職活動の挫折からうつを発症
救ってくれた恩師の言葉

 

伊藤:五十嵐さんにとって忍者は「天職」ですよね。そんな天職に出会えたのは、どうしてだと思いますか。

五十嵐:自分は小さいときから、いろんな人に出会うきっかけに恵まれていたように思います。親は僕が望んだところにはたいてい連れていってくれましたし、「あの子と遊んじゃダメ」みたいなことも言われませんでした。おかげで「人との出会い方」みたいな技術が早い段階から養われたのではないかな、と。おかげでいまでも、行きたいところには這ってでも行きたくなりますし、逆に、行きたくないところへ出かける日には、朝にぜんそくの発作が出るなど、体が言うことを聞かなくなって、出かけられなくなったりします。

伊藤:「体が言うことを聞かなくなる」という意味では、うつはその最たるものですよね。

五十嵐:自分も就職活動がうまくいかなかったときに、うつを経験しました。生活リズムは昼夜逆転するし、食事は喉を通らなくなり、常に息苦しくて吐き気がしたり…。なんとか打破したいという想いもあって、何人かの人に会いにいくと、その中の一人である高校時代の恩師が「君はどう転んでも大丈夫だよ」と言ってくれたんですよ。それで気持ちがすごく楽になりましたね。「いま持っているものを手放しても平気だ」って思えたんです。

伊藤:体調が悪いのに人に会いに行こうと思えたのはなぜですか?

五十嵐:それはもう、不思議としか言いようがないですね。天命に救われたというか。自分で電車に乗ることもできなかったのですが、友達が車で迎えにきて、連れて行ってくれましたので、友達にも助けられたなという気がします。

伊藤:いま身近に苦しんでいる人がいたら、どんな声をかけますか。

五十嵐:人によって言葉の受け止め方が違うので難しいですが。少しでも楽になれる言葉を選んで伝えたいと思いますね。

 

忍者の姿を借りて挑む
自分らしい生き方の「前例づくり」

伊藤:自分らしく生きるのって、なかなか難しいことですよね。

五十嵐:ネックになっているものの一つは、学校教育のゴールの設定にあるんじゃないでしょうか。中学に行けば高校に進学するよう仕込まれて、高校に行けば大学に行くよう仕込まれて、大学に行けば一流企業や大学院に進むことを仕込まれて、それ以外は失敗と見なされる。武術ではよく「逆側からものを見る癖をつけろ」みたいなことを教わるんです。高校や大学の入試に落ちたとしても、「自分を落とすようなところだったらごめんだよ」「入学しないことで先の可能性が分岐して広がったんだ」という風に捉えられるようになればいいと思うんですけどね。

伊藤:五十嵐さんにとっては、忍者でいることが自分らしい生き方なんでしょうか。今後、他にやってみたいことがあったりもするんでしょうか?

五十嵐:僕は「忍者という姿を借りている」と考えているんです。例えば、私が「○○アドバイザー」という肩書きで「身体表現を広げるには裸足で歩くと良いんですよ」なんて言っても、胡散臭くて受け入れられないでしょう(笑)。でも、忍術と絡めることで、抵抗なく興味を持ってくれる人がいる。…であれば、忍者でいたいな、と。

伊藤:忍者であることは目的じゃなくて、手段なんですね。

五十嵐:ええ、まずは信用されることが大切ですから。忍者は「無門の関」という言い方をするんですが、人には心の関所があり、これを越えなければいけない。その関所が忍者であることでスッと抜けられるのであれば、それこそがまさに忍術なのではないでしょうか。

伊藤:それは面白い。

五十嵐:そうして人との関わりを増やしながら、自分がやってみて「心地よい」「楽になる」と感じられたものを、より多くの人に共有していきたいです。それと、皆さんが「本当に好きなことを突き詰めていっても大丈夫だ」と考えられる“前例”になりたいとも考えています。そして、そのことを世に発信したり、人様のお役に立つことで、また新たな縁が繋がっていくのを見届けられれば嬉しいです。

伊藤:いやー、素晴らしいですね。イキカタログの初回にふさわしい、いいお話が伺えたと思います。本日はどうもありがとうございました!

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この記事を書いた人
野村 京平 株式会社あどアシスト コピーライター

1977年三重県生まれ。銀行→広告会社→うつ(リヴァトレ利用)→広告制作会社(現在)。消費者のためになった広告コンクール、新聞広告賞、宣伝会議賞等を受賞。一児の父。

Web:https://www.ad-assist.co.jp/

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