「志も欲も野心も、本当に何もなかったんです」 【イキカタログ〜自分らしい生き方対談〜 vol.5 プロレスラー・新崎人生さん】

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東北地方を中心に活動する「みちのくプロレス」。その元社長であり、現在コミッショナーを務めている新崎人生さん(写真左)は、昨年デビュー25周年を迎えました。彼の年表には「役者を目指して上京」「海外(WWF)挑戦」「別キャラクター(白使)でのブレイク」「メジャー団体(新日・全日)への参戦」「社長就任」「女子プロレス団体立ち上げ」「ラーメンチェーン店経営」…と多彩なエピソードがずらり。さて、そんな“自分らしい生き方”を実践し続ける秘訣とは。リヴァ代表の伊藤崇(同右)が聞きました。
プロフィール 1966年徳島県生まれ。高校卒業後、俳優を志してジャパンアクションクラブ(JAC)へ。その後、いまは亡き菅原文太さんの付き人を務めていたが、やがてプロレスに傾倒し、みちのくプロレスで「新崎人生」としてデビュー。現在はプロレスラーの傍ら、プロレス団体のコミッショナーや徳島ラーメン人生を経営する実業家、シニア向けエクササイズ『WAWA』のトレーナーとしても活躍している。

学生時代の後悔で誓った
「二度と逃げない、サボらない」

伊藤:人生さんのデビュー25周年記念の特集記事を読ませていただきました。その中で人生さんが「志を持たないままプロレスラーになった」という話をされていたのが、とても意外でした。

新崎:自分は「新崎人生」としてみちのくプロレスのリングに上がる前、たまたま知り合ったプロレス団体の社長に誘っていただいたのをきっかけにデビューしました。その時は志も目標も目的も、本当に何もなかったんですよ。「お金を儲けてやろう」という欲も、「海外に行って成功してやろう」なんて野心も、一切ありませんでした。正直な話、「プロレスラーとして何かを成し遂げよう」なんていう考えは、いまだに持ってないんです。

伊藤:いまだに、ですか!?

新崎:ええ。でも、だからこそ25年間も続けてこられた気がします。

『週刊プロレス』NO.1963/2018年7月4日号/ベースボール・マガジン社

伊藤:もともとスポーツはお好きだったんですか?

新崎:それが、そうでもないんです。中学校ではサッカー部に所属していたものの、それほどサッカーが好きではなくて。たまたま強い学校で、自分も四国の選抜チームのゴールキーパーに選ばれていたんですけども。

伊藤:え、すごいじゃないですか。

新崎:運動神経だけは良かったんでしょうね。でもあまり熱心でなく、キャプテンから「もっと練習をしてくれ」と注意されるほどでした。高校からスカウトの声をかけてもらったんですが、キツい練習をするのがイヤで断りましたし。

伊藤:へぇ…もったいない気もしますね。

新崎:高校2年生の時に、オリンピックに出場した先生(高西一宏さん/モントリオールオリンピック・グレコローマン82kg級6位)が転任してこられました。そこで創部していただいたレスリング部に入部したところ、今度は1年足らずで全国大会で3位に入賞しました。

伊藤:そんな短期間で?…ということは、レスリングには真剣に打ち込んだんですね。

新崎:いえ、まったく逆です。自分がキャプテンだったのですが、率先してサボる方法を考えていました。例えば朝練習で5kmくらい走るんですけど、「いかに先生にバレないよう2kmのコースにするか」と考えていましたし、合宿は「膝が痛い」と嘘をついて休もうと画策したり…。でも先生の指導が良かったこともあって、たまたまいい成績を収めることができて。

伊藤:「たまたま」で全国3位にはなれないと思いますが…。

新崎:卒業する時も「やっと練習から解放されるなぁ」くらいの感覚で。とにかく、そんな軽い気持ちでいられたんです、高校生までは。

伊藤:「高校生までは」?

新崎:自分は高校を卒業した後、しばらくの間、役者を目指していたんです。

伊藤:菅原文太さんのお弟子さんだったんですよね。

新崎:ええ。その頃にふと、高校や中学でスポーツに真剣に打ち込まなかったことを後悔する気持ちが込み上げてきたんです。真面目に頑張っていれば「四国ではなく、全国レベルのサッカー選手になれたんじゃないか」「レスリングで優勝できたんじゃないか」と、無性に残念に思えてきて。それで「次に何かに取り組むときは決して逃げたり、サボったりしない」と心に誓いました。

 

伊藤:なるほど…そのタイミングで始めたのが、プロレスだったんですね。

新崎:プロレスラーになってからは、苦しいことがあっても「ここで逃げたらあの頃と同じになってしまう」という思いが頭をよぎるようになって。その繰り返しで、気づいたら25年経っていた…というわけなんです。

所属団体から振る舞いまで
判断の拠り所は“あの名優”

伊藤:人生さんは岐路に立った時、何を判断の拠り所にしておられますか?

新崎:拠り所ですか。少なくとも「プロレスラー・新崎人生」を形成していく上で、お金の損得やステータスで動いたことはありませんね。これまで誰にも話したことがなかったんですが…自分は高倉健さんが好きなんです。

伊藤:高倉健って、俳優の?

新崎:そうです。「新崎人生」というプロレスラー像を構成する何種類かの“エッセンス”のうち、一番大きな軸は、高倉健さんだと思っているんです。

伊藤:高倉健さんはある意味、日本人男性の理想像のような存在ですよね。損得よりも、守るべき組織や弱者のために自分を犠牲にする…みたいな。お会いになったことは?

新崎:いえ、ありません。あくまでも映画の中の、自分のイメージとしての高倉健さんに憧れていた、ということです。でもきっと、ご本人も「日本の男性とはこういうものだ」というものをお持ちで、その人物像を体現しておられたんではないかと思うんです。

伊藤:そうかもしれませんねぇ。

新崎:ですから自分は「新崎人生」として何かを判断する時、いつも「健さんだったらどうするかな」と考えるんです。どの団体に所属するかということも、ファンの皆さんの前でどう振る舞うかということも。

伊藤:人生さんは、ジャイアント馬場さんからの「全日本プロレスに」という誘いを断ってみちのくプロレスに入られたと聞きましたが。

新崎:ええ、そういうこともありましたね。

伊藤:「自分だけメジャー団体(全日本プロレス)へ入っていい思いをしよう」と考えたら、実現できたわけですよね。

新崎:正直、そういうチャンスはたくさんあったと思います。

伊藤:そんな時は「健さんだったら」と考えて、みちのくプロレスを選んだわけですか?

新崎:そうです。判断するための軸を持つと、どんなときも迷わずに済むので、とてもラクですよ。

 

伊藤:四六時中、そんな風に考えているんですか?

新崎:いえ、それはあくまでも「プロレスラー・新崎人生」の話です。最近は例えばラーメン店の経営など、いろんなことに取り組んでいますけど、そこは素の自分である「新崎健介」(本名)が判断していますので、こんなにブレるものかと思うくらいブレていますし、たくさん間違います(笑)。

故郷の味とエクササイズで
東北の人々をもっと元気に

伊藤:「徳島ラーメン人生」は、いつ開業されたんですか?

新崎:1号店をオープンさせたのが2010年、サスケ(ザ・グレート・サスケ/元岩手県議会議員)がみちのくプロレスの代表にカムバックした後ですね。少し時間を自由に使えるようになったのがきっかけでした。いまは2店舗で営業しています。

伊藤:東北で徳島ラーメンというのは、珍しいですよね。私は仙台出身ですが、食べたことがありませんでした。

新崎:徳島というのは郷土愛の強い人間が多い土地で、自分も生まれ育った徳島が大好きなんですよ。それで20代の頃から「徳島には美味しいものがたくさんあるのに、県外の方々に伝わっていないのは残念だな」という思いがありまして。中でも、小学生の頃から大好きだった徳島ラーメンについては「いつかこの徳島ラーメンを東北の人にも食べてもらいたい」と考えていたんです。

伊藤:最近はシニア向けの健康エクササイズ指導(仙台市スポーツ振興事業団)にも取り組まれているそうですね。

新崎:週に2回、合わせて90名ほどの方々に指導させていただいています。自分は若い時から負荷の強いトレーニングを続けてきましたが、40歳頃を境に無理がきかなくなり、パフォーマンスも落ちてきたんです。筋肉はどうにかなっても、関節や腱は鍛えることができないので、どうしても衰えてきてしまうんですよね。

伊藤:プロレスラーはかなり高齢になっても現役を続ける人がいますけど、鍛えられた肉体を維持するのは大変でしょうね。

新崎:そうなんです。でも練習内容を調整してみたら、またパフォーマンスがグッと上がってきたんですよ。それで「こうしたトレーニング方法を一般の方にお伝えすることも、たくさんの方に応援していただいてきた自分の使命なのではないか」と考えて、仙台市に相談に行ったんです。そうしたら、市でもちょうどシニア向けの運動指導の事業に取り組んでおられたようで、2018年4月からエクササイズ講師として指導させていただくことになりました。

伊藤:どんな指導をされているんですか?

新崎:ストレッチから歩行トレーニング、体幹トレーニングなど幅広く指導させてもらっています。高齢者の方々はどうしても、痛みを感じるとすぐに練習を止めてしまいがちです。でも痛いからといって、一概に止めればいいというわけではなく、それが筋肉の回復につながる場合もある。自分はそうしたことを見極めて、「多少痛くてもそこは続けたほうがいいですよ」といったアドバイスをさせてもらっています。

 

夢や志を持っていなくても
自分らしく生きていける

伊藤:リヴァでは「自分らしく生きるためのインフラをつくる」というビジョンを掲げ、その実現を目指しています。人生さんからも、自分らしく生きるためのアドバイスをお聞かせいただけませんか?

新崎:自分自身がまだ実践できていないことを人様にお話ししていいものかどうか、悩ましいですが。中村天風(本名・中村三郎。実業家・思想家。1876-1968)が唱えた考え方に「絶対積極」というものがあり、自分もこれを目指しています。簡単にいうと「何物にも囚われない状態をつくる」ということ。「誰かに勝とう」とか「あの会社の戦略にこう対抗しよう」とか、そういったことを考えない精神状態を整えることですね。

伊藤:単にポジティブであることとは違うんですね。

新崎:ええ。誰かに勝とうと思うのは、欲があるからですよね。そうした感情をなくすと、気持ちがとても楽になるんです。自分は「絶対積極」を意識し始めてからは、「怒り」のようなマイナスの感情があまり湧かなくなりました。ただ、いまは意識してやっている。意識せずにその精神状態でいられるようになったら本物なんでしょうね。

伊藤:人生さんは先ほど「志がなかった」ということについて「だからこそ25年間も続けてこられた」とおっしゃいました。世間では「若い頃は夢や志を持たないといけない」という風潮もありますが、私はそれを苦しく思う人もいると思うんです。無理やり夢を見つけだして、それを達成できないことに苦しむなんて、本末転倒ですよね。そんな人にとって、人生さんのような生き方はとても参考になるのではないでしょうか。

新崎:目的や目標を持っている人はそれに向かって努力されればいいし、自分のように持っていない人間は、与えられた道を進むのもいいと思いますね。

伊藤:最後に、プロレスラーとして生きてきて良かったと思いますか?

新崎:プロレス自体が楽しかったからこそ続けてこられましたし、ファンの方たちが喜んでくださるのも嬉しいですし、この仕事をしているからこそ得られた出会いもたくさんあります。ですから、自分はこの道で生きてきて、良かったと思いますね。

伊藤:人生さんがこれからも、いろんな分野で活躍されるのを楽しみにしています。今日はどうもありがとうございました。

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リヴァトレ仙台の責任者である吉田(写真右)とともに

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この記事を書いた人
野村 京平 株式会社あどアシスト コピーライター

1977年三重県生まれ。銀行→広告会社→うつ(リヴァトレ利用)→広告制作会社(現在)。消費者のためになった広告コンクール、新聞広告賞、宣伝会議賞等を受賞。一児の父。

Web:https://www.ad-assist.co.jp/

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