新卒から約30年間、大手企業の現場で接客職として働き続けてきた小林さん。しかし52歳で管理職へ昇進したことをきっかけに適応障害となり、約1年半の休職を経験しました。
休職中は「このまま復職できないのでは」と不安を抱えていましたが、自分を縛る「〜ねばならない」という思い込みを手放したことで、少しずつ前へ進めるようになったと言います。
現在は「辛くなったらいつでも辞めていい」と肩の力を抜き、日常の小さな幸せを感じながら働く小林さんに、休職期間での気づきや日々の生活で大事にしている考え方について伺いました。
目次
現場の仕事から一転、管理職の
「終わりのない業務」に疲弊
私が就職した30年前の関西では、女性が実家を出て一人暮らしをするのは今ほど一般的ではありませんでした。親が厳しかったこともあり、「就職を機に家を出たい」という思いがあったので、ダメもとで東京の大手企業を受けたところ合格。接客業の現場職として、働き始めることになりました。
現場の仕事は、チームで協力してその日の仕事をやり切り、1日ごとに「今日も無事に終わった」と達成感を分かち合えるのが楽しかったです。
産休や育休を経験し、仕事や人間関係で多少悩むことはあっても、「仕事に行きたくない」と落ち込むほどの大きな挫折はない社会人生活でした。
転機となったのは2023年、52歳の時に管理職への打診を受けました。それまでも現場職での昇進のたびに「自分にできるだろうか」と不安になりつつ、なんとか乗り越えてきた経験があったため、「今回もやってみれば大丈夫だろう」と思って引き受けたんです。
しかし、実際の管理職の仕事は、これまでの現場とは真逆の環境でした。 部下30人のマネジメントや個人の評価、次々と降りかかる事務作業。現場で毎日感じていた達成感は消え、常に「仕事はエンドレスにある状態」に変わりました。
「仕事は終わらないものだから、自分で見切りをつけて帰らなきゃいけない」と言われても、当時の私にはそれができなくて。遅れを取り戻そうと昼食や休憩の時間すら惜しんでパソコンに向かい、土日も「メールが少ないから集中できるチャンスだ」と仕事をしていました。
これまで楽しく働いていたチームの中でも、自分だけが「評価者」という立場になり、それも向いていないと感じていました。どんなに辛くて、同僚に相談したくても、管理職たるもの愚痴を言ったら、みんなの士気を下げてしまうと言えなくて。
いよいよ限界を感じて、上司に「やっぱり無理なので、管理職を降りたいです」と伝えたものの、「降格はできないし、みんな最初はそんなもんだから大丈夫」と引き留められてしまいました。
「どんな怪我をすれば休めるだろう。骨折くらいじゃ入院しながら仕事をさせられちゃうからダメか」と考えてしまうほど追い込まれていました。
それでも、「管理職が休職するなんてやってはいけないことだ」と思っていたため、自分自身がメンタル不調に陥っている可能性なんて、まったく頭になくて。
最終的には上司が社内の相談窓口を勧めてくれて、産業医に受診を指示されたことで、「適応障害」の診断を受けることになりました。
休職の罪悪感や気まずさ 「このままずっと復職できないかも」
結果的に約1年半休職することになったのですが、はじめは「適応障害」という診断が信じられませんでした。病気が理由で仕事から離れられるなら、それでいいかなと。
一方で、「部下を持つ自分が途中で投げ出すなんてありえない」という罪悪感も抱えていました。私のカバーをするために、メンバーに迷惑をかけてしまっている。休みなさいと言われているのに会社のメールを見てしまったり、誰かが私の代わりに業務をやってくれているのを見て心が痛んだりしていました。
そんな時、中学生の娘に「もし学校の担任の先生が途中で辞めたらどう思う?」と尋ねてみたことがあったんです。すると娘は、「別になんとも思わないよ」とあっさり答えてくれました。「自分が思っているほど、周りは気にしていないものなのかもしれないな」と思えたことで、少しずつ気持ちが落ち着いていきました。
休職してしばらくは自宅で寝て過ごしていましたが、朝起きて子どもを学校へ送り出したり、夕食の準備をしたりしなくてはいけないので、最低限の生活ルーティンは守れていました。 少し体を動かした方がいいだろうと思い、近所のジムに行ってみたこともありました。しかし、そこで偶然知り合いに会ってしまったんです。仕事を休んでいると伝える気まずさもあり、「また誰かに会ったらどうしよう」と思うと、次第に行きにくくなってしまいました。
主治医からは「自分が戻っていいと思えるまで待とう」と言われていたものの、具体的にどうすれば復職できるのかが分からず、「このままずっと復職できないのではないか」と不安で。
「このままの状態で戻っても、また同じことを繰り返すだけだ。何とかしないと」と思い、自分で調べて出会ったのが、リワーク施設の『リヴァトレ』でした。
最初は「メンタル不調の人たちが集まる、暗い場所なのかな」と不安もあったのですが、実際に訪れてみると、落ち着いた温かい雰囲気でしたね。
スタッフの方々も、決して腫れ物に触れるような接し方ではなく、安心感があり、「ここなら馴染めそうだ」と思い、通所を決めました。
リヴァトレのイメージ
勝手な決めつけが自分を苦しめていた。
「客観視すること」で得られた変化とは
リヴァトレは1年間利用したのですが、自分を客観視できるようになれたことが一番の変化かなと思います。
最初の2か月ほどで、集団認知行動療法や自己分析といったプログラムを通じて、自分は「~ねばならない」という思い込みが強いタイプなんだと気づきました。 プログラムの中では、起きた出来事を「事実」と「自分の思い込み(推測)」に分ける練習を重ねます。
「断定形にする」というワークで、たとえば「なんでやってくれないんだろう」という不満を「やってくれない」と言い切る形に書き直してみると、「いや、やってくれなかったわけじゃないな」とハッと気づく。勝手な決めつけで自分を苦しめていたんだなと分かり、徐々に心がほぐれていきました。
また、日報・月報やスタッフさんとの面談を通じた「目標設定と振り返り」も通所の大きな支えになりました。 これまでの仕事での目標設定や面談は、正直どこか形式的なものだと思っていて。
「こういうことを書けばいいのだろう」「求められている答えを返しておこう」と受け流していた部分がありました。しかしリヴァトレでは、数値化や細かな振り返りを行うため、日々自分ができていることを実感でき、次はこれをやろうと前向きになれたんです。
面談で復職への自信をつける方法を話す際も、これまでなら「自分に自信を持つ」という曖昧な根拠で終わっていたところを、スタッフさんが具体的に何をすべきかを「ベイビーステップ」と呼ばれる小さな行動単位にまで細分化してくれました。
さらに「明日それを実行できる確信が90%以上あるか?」と問われ、確実に達成できるレベルまで目標を小さく小さく分解してくれる。こうして「少しずつ目標に近づいている」という確かな感覚を持てたからこそ、復職への自信を徐々に持つことができました。
復職の数か月前には、高知県の四万十町で行われた「イキカタサガシ」という4泊5日の生活体験プログラムにも参加しました。 カヌーや焚火などさまざまな体験をしたのですが、一番印象的だったのは、同行してくれたリヴァトレのスタッフの方々の自然体な姿で。
かつての私なら「引率者たるもの常に周りに気を配り、完璧にスケジュールをこなさなければならない」と考えていたと思います。しかし、スタッフの皆さんは私たちと一緒に全力で楽しんでいて、時には「あ、美味しそう!」とアイスクリームを買って食べていたりして。
「自分はやっぱり考えすぎだったのかもしれない。無理に気を遣わなくても、自分が楽しんでいれば周りもうれしい気持ちになるんだな」と、自分自身を客観視する良い機会になりました。
東京に戻り、復職直前には「職場へ戻った時の挨拶」や「配慮してほしいことの伝え方」のロールプレイも行いました。 相手役の利用者さんから「管理職なんだからそういうことは自分で考えて」と厳しい返答が来るシチュエーションまで想定して練習を重ね、無事復職の日を迎えました。
「完璧じゃなくていい、いつでも辞めていい」
肩の力を抜いて見つけられた、日常の幸せ
復職後は、「まず1ヶ月無事に行けたら次は3ヶ月、その次は半年、そして1年」と、ステップに分けて考えるようにしていました。最初のうちは退職金の計算までして、「またつらくなったら、いつでも辞められる」と自分に言い聞かせていましたね。
復職して1年半が経過した現在の働き方は、以前とは大きく変わりました。 「仕事に終わりはない」という事実をありのままに受け入れ、フレックス制度などを活用して定時になれば帰宅しています。「事実」をよく見てみると、以前は「みんなずっと仕事をしている」と思い込んでいましたが、意外とサクッと切り上げて帰っている人も多いのだと気づくことができました。
一方で、リヴァトレと復職後でギャップを感じたのは「帰宅後の過ごし方」でした。夕方に閉所するリヴァトレの通所リズムと、実際に帰宅が20時を過ぎる仕事終わりとでは差が大きく、生活リズムを崩さないための工夫が必要だったのです。
そこで私が変えたのが、家事への向き合い方です。以前なら「夕食にお惣菜を買うこと=母親としてやるべきことをやらずにサボっている」という罪悪感があり、無理をしてでも「手作りしなきゃ」と頑張りすぎてしまっていたと思います。でも今は、「お惣菜を買うことで時間が生まれ、早く寝られて子どもと笑顔で話せるなら、これでハッピーだし、これで良かったんだ」と思えるようになりました。
管理職としての向き合い方も変わりました。「自分がすべて把握しなければ」と気負いすぎず、分からないことは素直に「教えてほしい」「手伝ってほしい」と周囲に相談できるようになりました。仕事だから嫌なことはあるし、世の中には別の仕事もある。「本当にいやだったら辞めてもいいや」という余裕のある心持ちでいられています。
休職経験を振り返って今思うのは、渦中はやっぱりつらかったけれど、結果的に人生が変わり、視野が広がるきっかけになったということです。 すごく小さなことかもしれませんが、家から駅まで歩く時間も、以前は「しんどい」としか思えなかったのに、今は「歩くことがリフレッシュになっている」と気づけたり。ベランダで洗濯物を干しているときも、今までだったら「なんで私ばっかり」と思うところを、「風が気持ちいいな」と感じられたり。 日々の中にささやかな「良かったこと」を見つけられるようになり、ものの見方が大きく変わったのは、あの休職期間があったおかげだと思っています。
少しずつ楽しいと思える時間を増やして
エネルギーを取り戻してほしい
今、メンタル不調と向き合われている皆さんに一番伝えたいのは、「まずはしっかり休むことが何より大事」ということです。
休むからといって、何もしてはいけないわけではありません。自分が「何をやっている時に楽しさを感じていたか」を思い出して、その時間を少しずつ増やしていってほしいなと思います。つらい時間をできるだけ減らして、自分が心地いいと感じる時間を増やすこと。それが、エネルギーを取り戻す一番の近道だと実感しています。
リヴァトレへの問い合わせに迷われている方へ、小林さんからメッセージ
「早く復職しなきゃ」と焦っている時期に、どこかに通い始めるのはハードルが高いかもしれません。 でも、どうすればいいか分からず一人で悩んでいた当時の私から見ると、リワークやリヴァトレという場所を知ることができただけでも、大きな一歩だったんだなと感じています。
今振り返ると、リヴァトレは私にとって回復への近道であり、人生を変えてくれた場所でした。
一度見学に行ってみて、もし自分に合わなければ無理に続けなくていいんです。話したくなければ、無理に話さなくても大丈夫な場所ですから。 問い合わせをしたからといって何かを強制されることは一切ありませんし、いつも誠実に向き合ってくれるスタッフばかりです。ぜひ安心して、一歩を踏み出してみてください。
【復職準備をしたい方へ】
休職・離職を、自分を見つめ直すきっかけに
メンタル不調で休職・離職している方向けのサービスの1つ「リワーク」を耳にしたことはあるでしょうか。
対人コミュニケーションやストレス対処法など様々なプログラムを通して、復帰に向けた準備ができるサービスです。
株式会社リヴァが運営するリワーク(就労移行支援)サービス『リヴァトレ』のスローガンは、「戻ろう、ではなく、進もう。」です。
ただ「戻る」のではなく、「働き方・生き方を見つめ直し、納得感をもって一歩踏み出していただく支援」を大切にしています。
「興味はあるがどんな所かイメージできない」という方は、ぜひデジタルパンフレットをご覧ください。
※パンフレットのお申込みでお電話を差し上げることはありません。
【メンタル不調の当事者向け】
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株式会社リヴァ ブランディング部
1996年福島県生まれ。山形大学を卒業後、18卒として(株)リヴァへ入社。ラシクラ事業部・新卒採用の責任者を兼任しながら、新規事業「あそびの大学」の立ち上げに至る。自分らしいと感じる瞬間は「物事の背景を探求している時」。趣味は、DIYと金継ぎ。