これまで常に家庭や職場において誰かを支える立場であり続け、自分のことは後回しにして生き抜いてきたユキコさん。過酷な仕事や生活の中で限界を迎え離職したのち、自分自身と向き合う時間を作るため、就労移行支援『リヴァトレ』の利用を決意。
安心できる環境の中で、人生で初めて「助けてもらう側」として自分を労わる感覚を知り、自分を肯定する力を取り戻していったといいます。その後、クローズ就労から2年目に病気を開示し、自分を偽らない働き方を実践。
現在は「今の自分のまま」を受け入れ、日々のセルフモニタリングを大切にしながら働くユキコさんに、過去の葛藤から得た気づきや、他人のモノサシを手放すまでの道のりについてお話を伺いました。
目次
10代から続いた生きづらさ
心の悲鳴に気づけぬまま、訪れた限界
私の生きづらさの背景には、中学3年生の頃に母がアルコール依存症になったことや、愛着に問題を抱えるような家庭環境がありました。当時は摂食障害を抱え、10代から精神科へ通っていたほどです。
高校生の頃からアルバイトを点々としていましたが、後に診断を受けるADHDの特性もあり、マルチタスクがこなせず頭が真っ白になってしまうこともしばしば。当時は「自分には価値がない」「早く消えたい」と思いながら、必死に生き伸びている感覚でした。
そんな中、20歳の頃に始めた知的障害者グループホームでの宿直アルバイトが転機になります。対人緊張が強かったのですが、利用者さんと過ごす時間は人の目が気にならず、心が休まる感覚があり、福祉の仕事に興味を持つきっかけとなりました。
26歳で長男を出産後、1年で離婚。それまで「消えたい」と願っていた人生は、我が子の存在によって「もう生きるしかない、死ねない」と一変しました。
子どもを育てるために通信制大学で猛勉強し、保育士資格を取得。その後、再婚して次男が生まれ、彼に発達障害や不登校が起きると、今度は社会福祉士の資格も取得しました。興味があることには「過集中」とも言える猛烈なスイッチが入る特性があり、がむしゃらに走り続けられたのだと思います。
ですが、次男の育児や産後うつ、家庭内別居による孤立に苦しんだ時期は、社会から取り残されていく焦燥感を抱いていました。「とにかく社会と繋がらなければ」と訪問ヘルパーの仕事を始めてからは、過酷なマルチタスクの日々が始まります。
仕事量はどんどん増え、気づけば体重が激減しても自覚がない「軽躁状態」でした。それまでの私は、うつのしんどさや生きづらさを、アルコールや過剰な稼働という「ごまかし」で無理やり覆い隠し、自分を動かし続けていたのです。
決定打となったのは、新型コロナウイルスの流行でした。極度の緊張が続く過酷な環境や、人手不足による上司からの配慮のない言葉。心身のバランスは完全に崩れ、いつ寝て、いつ食べたかも分からない状態のまま、ある日、私は「明日やめます」と言って衝動的に仕事を辞めてしまいました。
親友から「ちょっと待って、落ち着きなさい」と止められましたが、当時の私には職場の状況を改善する余裕など残されておらず、退職しか考えられませんでした。
腑に落ちた「双極症」の診断
自分とじっくり向き合う時間を求めて
その頃、約20年通っていた病院から新しい病院に転院したことをきっかけに、「双極症」の診断がつきました。思い当たる節もたくさんあり、「そういうことだったのか」とどこかホッとしたのを覚えています。
ADHDや依存症は「自己管理ができない自分のせいだ」と自分を責めてしまいがちですが、双極症は「脳の病気にかかってしまったんだ」と、良い意味で割り切れる感覚が私にはありました。
何より、薬物治療や睡眠のセルフモニタリング、ストレス対処といった「対処の教科書」が存在すること。それに沿って取り組めば、良くなれるかもしれないという希望が持てたのも大きかったです。
仕事を辞めてからもじっとしていることはできず、メンタル疾患を抱える親のピアサポートグループ(自助会)の運営に関わっていました。当事者同士が集まれる場所の価値を感じていた中で、「就労移行支援」という存在を知り、興味を持つようになります。
もともと福祉業界にいた私ですが、最初は「就労移行支援」に対して知的障害のある方向けの作業所のようなイメージを抱いており、「自分のような人間が使ってもいいサービスなのだろうか」と躊躇する気持ちもありました。
ですが見学に行き、『リヴァトレ』を見て印象が変わりました。個人作業ではなくグループワークが中心で、ピアサポート的な支え合いができる環境に惹かれて、利用を決めました。
ずっと誰かを支える側だった私が
初めて「助けてもらう」ことを知れた場所
リヴァトレで過ごした約2年間を振り返ると、贅沢な時間だったなと思います。
これまでの人生、私は常に誰かを支える立場でした。家庭では障害を持つ子どもを育て、職場ではヘルパーとして誰かを介護する。自分のことは常に後回しで、誰かのために生き続けてきた感覚だったんです。
そんな私が、リヴァトレでは「助けてもらう側」として、堂々と人を頼って自分を労わっていい。その安心感が心地よく、通うこと自体が純粋に楽しかったですね。
通い始めは自分より若い利用者さんが多く、長男と同じ年齢の人もいて最初は少し戸惑いました。ですが、変な比較をしなくて済む良さがあったり、違う年代の人たちとメンタルの悩みを語り合えたりするのが新鮮で。他の当事者会とは違って、「働く悩み」をフランクに話せたのがありがたかったです。
また、それまでオフィス勤務の経験がなく、パソコンもほとんど触ってこなかったので、この2年間が人生で一番パソコンを使いました。
プログラムでパワーポイントを使ってスライドを作成し、プレゼンして皆さんからフィードバックをもらう体験も貴重で。おかげで退所後、「日本精神神経学会」に当事者として登壇することになった際も、自分でスライドを作って堂々と発表することができました。
グループワークでのお互いの良いところを伝え合うフィードバックでは、他の利用者さんから「ユキコさんは人を安心させてくれる」「癒やし系で優しい」と言ってもらえたのも記憶に残っています。
日々通所する中でかけてもらった、他の方からの温かい言葉のおかげで、長年蓄積して歪んでいた自己認知を解きほぐし、自分を素直に肯定できるようになっていきました。
「本当の自分を隠さずに働きたい」
クローズ就労から、2年目に開示へ
次の仕事に向けて、私の中には「次は最初から、自分の病気をオープンにして働きたい」という強い希望がありました。
これまでは本当の自分を隠し、「普通の母親」「普通のヘルパー」としての仮面を必死に付け替えて生きることに疲れてしまっていたからです。
しかし、いざ求人を探し始めると、障害者雇用枠には私のこれまでの経験や社会福祉士などの資格を活かせる仕事がなかなか見つかりませんでした。「自分の強みを発揮して働きたい」と考えた時、一般求人から探すしか道はなかったんです。
悩み抜いた末、私はまず病気を伏せて入社する(クローズ就労)という道を選びました。無事に特別支援小学校での障害児支援の仕事にご縁をいただいたのですが、働き始めた当初から「タイミングを見ていつかオープンにしよう」と心に決めていました。
そして業務に慣れ、今の自分の状態なら打ち明けても大丈夫だと思えた2年目の春、職場へ「実は双極症なんです。ただ、今のところ合理的配慮などは必要ない状態です」と開示をしました。
その時の気持ちとしては、「もしも今後、自分の中に大きな波がやってきてガタガタと崩れそうになった時、お互いのために知っておいてもらった方がいい」という、一種の保険のような意味合いがありました。
福祉の業界で働き、障害のある子どもを育てる親として、「障害があることを隠して一人で悩むのではなく、得意な能力を見て活躍し、苦手なことは周りに知ってもらった上で社会参加してほしい」という理想があったのも、開示を決めた理由の一つです。
修行僧のように記録を重ねる日々
「今の自分のまま」で堂々と生きていく
今の職場に就職して、約3年が経ちました。
自分のことを「修行僧みたいだな」と思うほど、気分や睡眠、活動量といった状態の観察(セルフモニタリング)を毎日続けています。瞑想やリヴァトレで学んだマインドフルネスも日課です。
双極症の対処としてはよく「低め安定」を維持することが大事と言われますが、本当は嫌なんですよね。軽躁のときの方が動けるし気分もいいから、ずっと「高め安定」でいたいと思ってしまう。
けれど、軽躁の後にやってくるうつ状態の自分を思い返すと、自分も周りも幸せではない。だからこそ、元気になりすぎる自分をあえて抑え、波を安定させることを意識して頑張っています。
もちろん、今でも体調を崩して仕事を休んでしまう日はあります。そんな日は決まって自分を責めてしまうのですが、「今の自分には休みが必要だったんだな」と言い聞かせ、自分に優しくする練習をしている最中です。
長かった離職期間を経て、ある程度そのままの自分を受け入れられるようになってきたと感じます。自分自身はもちろん、子どもたちに対しても「人と比べてできないこともあるかもしれないけれど、母ちゃんだって好き好んでこうなったわけじゃないし、工夫していくしかない。誰のせいでもないし、努力不足でも怠惰でもないから、堂々と生きていいんだよ」と思えるようになりました。
依存症の自助グループで教えてもらった「平安の祈り」に、こんな言葉があります。
『変えられないものを受け入れる落ち着きを、変えられるものは変えていく勇気を。そして、その2つを見分ける賢さを、私にお与えください』
いまも日常の中で、ニュースやSNSを一生懸命追わないと時代の流れから置いていかれそうな気がして、焦る瞬間はあります。けれど、やりたくもないことに時間やエネルギーを使うくらいなら、自分がやりたいことや楽しいことに使ってあげたい。自分で変えられないことは受け入れて、変えていけることを見極めていきたいと思っています。
いまメンタル不調と向き合っている方に伝えたいのは、「捉え方を一度変えてみること」です。 健康な人のモノサシや「仕事とはこういうものだ」という固定観念を一度手放して、まずは「いまの心の状態を持った自分」をしっかりと受け止めること。
その上で、自分とうまく付き合いながら仕事や生活を新しく再設計していくこと。日々のセルフモニタリングや体調管理も「大切な仕事の一部」だと捉え直すことが、前へ進むための一歩になるのではないかと思っています。
【復職準備をしたい方へ】
休職・離職を、自分を見つめ直すきっかけに
メンタル不調で休職・離職している方向けのサービスの1つ「リワーク」を耳にしたことはあるでしょうか。
対人コミュニケーションやストレス対処法など様々なプログラムを通して、復帰に向けた準備ができるサービスです。
株式会社リヴァが運営するリワーク(就労移行支援)サービス『リヴァトレ』のスローガンは、「戻ろう、ではなく、進もう。」です。
ただ「戻る」のではなく、「働き方・生き方を見つめ直し、納得感をもって一歩踏み出していただく支援」を大切にしています。
「興味はあるがどんな所かイメージできない」という方は、ぜひデジタルパンフレットをご覧ください。
※パンフレットのお申込みでお電話を差し上げることはありません。
【メンタル不調の当事者向け】
LINEにて限定情報を配信中
株式会社リヴァが運営する公式LINE『メンタル休職ラボ』では、“メンタル不調×仕事復帰”に役立つ情報を配信中です。
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株式会社リヴァ ブランディング部
1996年福島県生まれ。山形大学を卒業後、18卒として(株)リヴァへ入社。ラシクラ事業部・新卒採用の責任者を兼任しながら、新規事業「あそびの大学」の立ち上げに至る。自分らしいと感じる瞬間は「物事の背景を探求している時」。趣味は、DIYと金継ぎ。